2017年11月24日金曜日

新・酔いどれ小藤次〈九〉 船参宮

新・酔いどれ小藤次〈九〉 船参宮 佐伯泰英
 文政八年 1825年 
赤目小藤次は久慈屋昌右衛門の供をして国三と三人で伊勢参りに出た。島田宿で大井川の川止めに会う。島田宿で三つの旅籠を持つ紋屋鈴十という隠居と孫娘、数日分の旅籠の売り上げを持った手代が四人組に襲われそうなところを助け、紋屋鈴十の船形屋敷の離れ屋に泊まれることになった。赤目小藤次の名は知られていた。
 島田宿で川止めの間に、中本陣に泊まる京都所司代勘定方の猿橋飛騨が胴元でやくざ者の宮小路の猪助親分と十手持ちの白髪の熊五郎親分がかんで旅籠の泊まり客を誘っていた。神路院すさめという巫女が付いていた。猪助親分と熊五郎親分は島田宿から追い出された。猿橋は浪人者み斬られたように装う。神路院すさめは逃げた。
 川止め分を稼ぐために伊勢まで船で行った。
 伊勢参りをした後すさめを退治した。
 五十年前の昌右衛門が出会った、元久慈屋の女中さんは昌右衛門の実の母親だった。

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