浮世絵宗次日月抄 半斬の蝶(下) 門田泰明
麻倉文之助との死闘には勝ったが宗次も傷を受けた。
傷が癒ええた頃宗次に入って来た情報は二百年も前の室町幕府八代将軍足利義政の正室富子と側室今参の局との確執が現在も続いているということだった。大月常安も滝沢蔵之助も足利一門だった。今参の局の血筋と思われる刺客集団に命を狙われているという。
宗次が大切に思っている夢座敷の幸の両親、大庄屋・小野宮右衛門一家全てが居なくなっていた。夢座敷の幸のところもすべての者が居なくなっていた。
闇之介が現れる。足利幕府の近衛軍内談衆の地位にあった大舘を名乗る。本名大舘三之介(やみのすけ)一年後には満冬を継ぐ。妹はお今。花畑で出会った大名の一行は御今様一行だった。
第二の恩師・草想禅宗名誉僧正・雲円が亡くなった。養父梁伊対馬守の墓に幸の別れの歌があった。『秋芙蓉なみだの中に殿(あなた)を見てまた出会いたき明日ありと想うかな』
宗次は足利氏縁の地・真光寺へ行く。今参の統率者は大舘三之介、日野富子の集団の統率者は小野宮幸だった。日野富子直系だった。宗次は争いを止めに行く。
闇之介と宗次が戦い、宗次が勝てば日野富子に対する怨みを一切水に流す。闇之介が勝てば、宗次の四十九日が済むまで富子派との決着を延ばす。ということになった。宗次は揚真流最高奥義の一つ、半斬の蝶「目眩まし」で闇之介を倒した。宗次は介抱された。
夢座敷は売りにだされていた。
宗次の父は尾張藩二代藩主徳川光友、母は尾張藩付家老神坂家で養育された咲姫 家光の血を受け継いだ。家光は祖父に当たり、淀殿は曾祖母にあたる。
0 件のコメント:
コメントを投稿