五百年の判じ絵 佐吉が長崎屋に務めるようになった理由。佐吉が徳川の世になって東海道を旅している時、判じ絵を見付けた。五百年前のお礼がしたい、京橋に来て、佐吉へと言うような事が書かれていた。妖狐に誘導され長崎屋のおぎんに対面する。五百年前、仁吉の具合が悪くなりおぎん様が困っている時に佐吉が助けた。その時おぎんが佐吉と名付けた。今、お礼に佐吉に安定した住み場所を提供しようと言った。弘法大師が亡くなってからいなかった大事な相手を持てる。相棒も持てるだろうということだった。
太郎君、東へ 徳川の時代になり、利根川の流れを変えようとした者がいた。坂東太郎は怒る。こすっからいことはするな。堂々と正面から挑め、と言う禰々子。荒川の蘇鉄河童を使って、杭を抜いたり普請場を荒らしたりする太郎を禰々子が追いかけた。利根川から会いの川に行くと思った太郎は大いに無理ををして太日川に向きを変えた。石や土石が動き、堤があらわれ川の流れが変わった。
たちまちづき 広徳寺の寛朝の所に口入れ屋・大滝屋の主人安右衛門がいる。おかみさんは強くなれとやかましい。安右衛門が怪我をしている間におかみさんが口入れ屋の仕事をし、失敗する。親戚がやってきて、おとなしい安右衛門を辞めさせ自分の姪を大滝屋の女将に据えようとする。安右衛門は困りごとを大名や長崎屋を使い、事無きに納めてしまう。親戚には要らぬことだとはっきりいい、おかみさんは安右衛門を見直して帰って行く。乗っ取ろうとした番頭が二人を殺めようとするのを、寛朝は見抜く。
親分のおかみさん 清七親分のおかみさんは寝込むことが多かったが、捨て子が舞い込み育てて強くなった。捨て子を拾った店に、夜、子供を迎えに人が来る。それが盗賊になる事件が多発していた。長崎屋にも捨て子があったことをきき、清七が行くと、盗賊は捕まっていた。長崎屋の捨て子は豆腐屋の子になった。
えどさがし 明治20年長崎商会と名を変えた長崎屋では、鳴家や妖が若旦那を探していた。100年近くたってそろそろ会えるんではないかと探していた。それらしい新聞広告をみて仁吉が新聞社に行くと殺人事件が起こる。怪我ですんだが、妖の警官は生きていることは伏せておくことにした。命を狙われた新聞社の社員は、昔盗品を見付け、自分たちのものにしていた。未だ使ってはいけないことにしていた。一人、お金が必要になり矢立を持ち出した。その矢立が新聞広告を出し、盗品の蔵に仁吉が来るように仕向けていた。そこにいたのは屏風のぞきだった。
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