2016年7月1日金曜日

半席

半席 青山文平
 徒目付・片岡直人26は小普請世話役から徒目付になって二年、早く勘定所に席を替え御家人の支配勘定から旗本の勘定へ駆け上がりたい。片岡の家は父が小十人入りを果たしたが、小普請に戻され半席となった。直人は小普請からはい上がらねばならなかった。直人が勘定所の勘定になれば半席を脱して旗本になれるのだ。直人は未だ居ぬ子供のために頑張っていた。
 徒目付組頭・内藤雅之38は徒目付組頭を七年務める。徒目付は踏み台にしているようでもなく、目付の余禄の見返りを期待している訳でも無い。
 今春、雅之の頼まれ御用を一度っきりと承諾した。 思っていたよりも遥かに励み甲斐があり身が入る。後断わり続けて九ヶ月が経った。勘定所に力を持つ人の頼みと言う誘いに乗った。
 半席 勘定所に力を持つ人の頼みごと。筏で鱮釣りをしていた表台所頭・矢野作左衛門89が落ちて亡くなった。事故とされた事件を調べて欲しいということだった。作左衛門は矢野家の当主だった伯父が亡くなった時、子供・信二郎が五才だったので作左衛門が家督をついだ。信二郎が七十二才になっても家督を譲っていない。信二郎と二人で釣りをしていた。作左衛門が落ちた時には信二郎は一緒ではなかった。作左衛門は走ってから落ちていた。直人は信二郎から話を聞く。作左衛門は脇差し・埋忠明寿と斉藤武兵衛の釣り竿を交換していた。信二郎が家督と共に譲られるはずの刀だった。信二郎は家督よりも楽しみにしていた。信二郎が怒ったのは家督を譲らないからだと作左衛門は思った。作左衛門は年を取ってもお役を辞められない。死ぬまで辞められないと言った。自分で釣り竿を川に投げ、後を追って川にはまった。信二郎はそうなることが分かってそこを立ち去った。信二郎は全てを話した。信二郎も何かを探しながら川にはまって亡くなった。
文化六年
真桑瓜 直人27才  八十才以上でお役目に付いている者の集まりで刃傷沙汰が起きた。二月に一度、持ち回りで仲間の屋敷で食事をする。岩谷庄右衛門87の当番で最後の水菓子が出て最後の挨拶を待っている時、山脇籐九郎87がいきなり脇差しで斬りかかった。幸い死ぬほどの傷では無かった。頼み人は五千石でみんなと違いすぎて出られない人が籐九郎はしゃべりたいはずだ、思いっきり吐き出させてやって欲しい、という。直人は病の禁忌を書いた表を手に入れ、籐九郎に会った。二十八年前、籐九郎の次男が麻疹にかかった。その前に惣領を亡くしていた。真桑瓜を食べさせて良いかどうか岩谷に尋ねた。岩谷は良いと言った。食べさせた次の日急変して亡くなった。手に入れた刷り物も真桑瓜は駄目だとなっていた。自分が真桑瓜のことで心中もがき続けたように、岩谷も大丈夫と言った一言を抱え込んでいると思っていた。水菓子に真桑瓜が出たことで岩谷が二十八年間全く、真桑瓜に気を留めることなく生きてきたことを悟った。気がつけば斬りつけていた。申し訳なく思っている。と話した。庄右衛門は籐九郎んに会いに行った。明くる日籐九郎は病気で亡くなった。真桑瓜が食べても良い物にはいっている麻疹の時の刷り物があった。
六代目中村庄蔵 十一月 旗本・高山家の当主を殺した罪で牢にいる無宿人が何故旗本を殺したのか調べることになった。茂平は二十年以上高山家に仕えた。茂平は肝の臓の病気になり迷惑をかけたらいけないと思い、屋敷を出た。なかなか死ねなくて切羽詰まって高山家に行った。新しく入った侍を紹介された時、茂平は高山を突き飛ばした。縁側から落ちた高山は石に頭を打って亡くなった。茂平は紹介された名が中村庄蔵だったために取り乱し殿様を突き飛ばしてしまったという。中村庄蔵としての二十年は茂平のすべてだったのだ。二日後茂平は揚座敷で息を引き取った。譜代の最後の家侍が中村庄蔵だった。忠義の侍だったのであやかるように中村庄蔵を名乗っていた。六代目も立派な家侍だったので茂平で終いにしようかとも思ったが、やっぱりあやかって欲しくて七代目を作ったのだった。
蓼を喰う 文化七年 直人28才の三月 御目見以下から始めて永々お目見以上の旗本になった古坂信右衛門69が、御目見以下の御徒から叩き上げの勘定組頭・池沢征次郎57を手にかけた。傷は浅くないが死んではいない。征次郎は亀を見ていた。斬った理由を信右衛門は言わない。二人は関係がないようだ。古坂家は御庭番筋の家柄だった。征次郎は深川育ちで溝浚いを人任せに出来ない性分だった。時々は古坂家の溝浚いをしていた。御庭番筋の家は溝浚いをしなくて良いことになっていた。信右衛門は一度遠国へ行っただけで御庭番の仕事をしていない、なのに溝浚いを免除されていることを負担に思っていた。征次郎が自身で溝浚いをするのは愚弄していると思った。若い時はまだ遠国ご用もあるかもしれないと我慢していたが、六十九才、溝の流れを検分しているのを見て歯止めが外れた。と言う。直人は、溝攫いをする征次郎のことを話した。
 このことの頼み人は信右衛門の始めての遠国ご用の相棒だった。自分の失敗で信右衛門が遠国ご用から外されたことを気に病んでいた。
見抜く者 直人の上司・芳賀源一郎は道場主だ。源一郎が襲われた。途中その者は倒れた。心臓の発作だった。凄腕と言われる、元大番組番士・村田作之介だった。これは表の御用だった。表の御用で何故を調べる。作之介は立ち合ったつもりだ。大番のお役目のために梶原派一刀流を修めた。最後に剣技を解き放ってやりたかった。という。二度目の発作が起こった。
役替え 直人は十五の時から一日も欠かさず逢対をかさね、小普請世話役の役目にありついたのは七年が経った二十二の秋だった。直人と北島士郎だけだった。三年前徒目付の役に付いた時、旗本になるための踏み台でどう務めようかなど考えたこともなかった。
 頼まれ御用をするうちに一件落着した事件の何故を解き明かす、見抜く者になろうとして、旗本へ邁進する路から逸れていった。
 北島士郎の父親・泰友に会った。士郎は病気になり小普請に戻っていた。家に来るようになった。直人をつけるようになった。直人を襲おうとしていた。徒目付を襲えば追放では済まない。直人は撒くことにした。逃げた。雅之と一緒の時、泰友が襲ってきた。夜、直人は致仕願いを書いた。今のお役目に未練が残った。
 勘定所から片岡を欲しいと打診があったが、目付筋の総意で出さないことにした。目付一本で何故を掘り起こしてもらう。それで北島親子は川越えにでも住んだらいい。ということになった。


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